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【地域】
 宮城県大崎市
【ジャンル】
 古代遺跡
【参考リンク】
 
座散乱木遺跡発掘調査団
座散乱木遺跡地図
 

2007/10/29 失われた遺跡

  価値観が時代や場所によっても大きく異なってくることは言うまでもないことでして、時代と共にいわゆる名所であったところがB級スポットぽい趣をもってくることもあるわけです。
 
 そんな時代の流れとは別にして、ある日、突然、価値ある場所であったところがB級どころか、それ以下の価値のある場所になる場合もあります。
 
 先日、そんなところをいくつか訪れてきました
 
 
 
 
 まずは馬場壇遺跡、ここは発見当初、日本最古の石器が出土したところです。1984年(昭和59)以降の発掘調査で前期旧石器時代、推定7万年前の旧石器時代のものと思われる石器が発見され、最終的に20万年前にさかのぼる石器が発見されました。

 ところが案内標識はあるものの、「ここが馬場壇遺跡です」と説明する看板は一切なし。
 
 
 案内標識があるあたりを探してみても一面の牧草地で、さてどこから見つかったのがまるで分からない状態です。
 
 学術史上に残る大発見だったのですから、もう少しきちんとした説明があってもよさそうなものなのですが、どうして無いのでしょうか。
 
 
  
 
 続いては高森遺跡。
 
 ここは1990年から1992年の発掘調査によって、なんと50万年前の旧石器が発見されたところだそうでして、遺跡跡は広場となっています。
  
 
  馬場壇とは違い、高森遺跡だということをしめす杭もあります。
  
 
 
  が、それだけで詳しい説明はありません。
 
 杭にはただ、「この遺跡および周辺の現状を変更しようとするときは、事前に教育委員会に協議が必要です」と書かれているだけです。
 
  たしか、以前はその遺跡の古さから「高森原人」などと騒がれていた気がするのですが、その説明なども一切書いてありませんでした。

 
  
 
 最後に座散乱木遺跡。
 
 ここは、1981年に日本で始めて3万年以上前の地層から石器が発掘されたところであり日本にも前期旧石器時代があったということを明らかにしたところとして有名なところです
 
 ここは前2つの遺跡と違って、案内標識もきちんとしております。
 
  
 
 また、近くを流れる川にかけられた橋には、石器を模したレリーフがかざられております
 
  
 
 現地にはこのような説明版もきちんとあり、どのような遺跡かを説明しております。
 
 もっとも遺跡が掘られたと思われるところは、前2つの遺跡と同じく、雑草が生い茂り、どのようにして遺跡が発掘されたかはまるで分からない状態なのですが。
 
  
 
 
 さて、紹介した3つの遺跡がここまで荒れている原因はこの座散乱木遺跡の説明看板を読むとよく分かります。
 
 
 
 座散乱木遺跡は石器文化談話会が行った3次(昭和51・54・56年)にわたる発掘調査で3万年より古い地層から石器群が出土し、日本列島における前期旧石器時代後半の存在を明らかにした遺跡として平成9年に国の史跡指定を受けました。しかし、平成14年5月から6月に実施された座散乱木遺跡発掘調査団による検証発掘調査で、国指定の根拠となった調査結果を証明する遺物が出土しなかったことや、国の「史跡座散乱木遺跡に関する調査研究委員会」の審議で旧調査の成果が捏造されたものと判断されたことから、同年12月に国の史跡指定が解除されました。
 
 
 
 ・・・捏造。
 
 
 
 そう、紹介した3つの遺跡は年、日本史を揺るがした、「前期旧石器時代捏造事件」の舞台となったところなのです。
 
 2000年11月5日の毎日新聞のスクープから捏造が明らかになった遺跡は最終的に40カ所以上になったと言われています。

 その中でも、この3つの遺跡は埼玉県遺跡などと並んで、主要な遺跡だったりするわけです。
 
 
 とりわけ高森遺跡は、隣地区にある捏造の証拠が明らかになった上高森遺跡(探しましたが標識などないため見つかりませんでした)と共に「原人ブーム」で大いに盛り上がったところなのですが、遺跡が捏造であったことに加え、市町村合併の影響もあり、捏造が発覚する前と後の差がもっとも激しいところだそうです。
 
 
 
 その顕著たるものがこれ。
 
 
 
 
 
 かつて、ここには「原人プラザ」なる建物があったそうなのですが(原人の模型がそれを象徴してます)、その看板文字は剥がされ(写真参照)、同じ高森地区にある高森ファームの工場となっております。
 
 
 また座散乱木遺跡に関しては、調査の結果後期旧石器時代(1万2千〜3万年前)の石器6点、縄文時代(1万2千〜2千4百年前)の土器石器、弥生時代から古墳時代(2400から1300前)の土器が発掘され、旧石器から古墳時代における複合遺跡という前期旧石器時代ではないにせよ、価値ある遺跡であることが明らかになったのですが、やはり捏造があった事実に出来るだけ触れたくないのか、それらを大々的には公開せず、荒れ野になっています。
 
 それまでの、「原人」熱があまりにも熱すぎたため、それが捏造だと分かったときには、虚しさと恥ずかしさがあいまって、その結果「なかったもの」とするという心理に働いたことは容易に想像できます。
 
 しかし、熱のあまりに作った施設に関しては壊すわけにもいかず、結局は「放置する」方向になったのでしょう。
 
 捏造によって左右された、これらの遺跡の扱いはまさに人間の価値観なんて当てにならないということをしめす象徴であるように考えられます。
 
 ま、どうせなら、これらの遺跡とその捏造の経緯、そして作ってしまった「原人グッズ」などをまとめて案内し「日本はこうしてだまされた。捏造遺跡博物館」とすれば、B級スポット好きの観光客が多々訪れ、収益につながるのではないかと思うのですが、地元の人にとってはさすがに思い出すのも嫌なほど恥ずかしい出来事のような気がするので、望むのは難しいのでしょう。
 
 
 
 ・・・「捏造博物館」見てみたいなぁ。

  



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