【地域】
山形県山形市
【ジャンル】
その他スポット
【参考リンク】
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山寺地図
2003/9/17 山寺(1)
休日でしたので、山形県の立石寺、通称”山寺”へ行ってきました。松尾芭蕉の「奥の細道」”
閑さや 岩にしみ入 蝉の声
”の句で有名なところです。B級スポットトラベラー(今勝手に名付けた肩書き)の僕としては、このようなきちんとした観光地へ来ることは滅多にないのですが、たまにはこういう普通の所へ来てみるのもよいでしょう。もっとも、片道3時間以上もかかる所へ一人でドライブしにきている時点で”普通”からは遠く離れているような気もしますが。
で、こういう有名な施設に関しては特に説明する必要もないと思います。説明などは詳しく紹介しているページがいっぱいありますので。
僕自身も有名なお寺ということくらいしか知らなかったわけですし。
ですので僕が感じたことなどをメモ程度に記していきたいと思います。
山寺の参道前には、まずこのような大きな石が真っ先に目に入ります。対面石という有名な石らしく、なんでも慈覚大師という僧侶が立石寺を開山するにあたって、宝珠山を住処とする狩人と対面し寺院建立の了解を得たところとされているところで、いわば山寺の歴史が始まったところらしいです。ちなみに、この大石に左手をあてて願いをこめると、良いことに対面できると言われているそうでして。
もちろん、願い事をこめてきましたよ。
「今年中に彼女が出来ますように!」と。
・・・素敵な女性と対面できるとよいなぁ。
で、山門をくぐると、根本中堂という本堂があります。この本堂のところには、このような招福布袋尊が祀られています。
なんでも、この布袋さんの身体に触りながら願い事をすると、願いことがかなうとか。
ということで、願い事をもちろんしましたよ。
「今年中に彼女が出来ますように!」
と
こういうのはしつこいくらいに願うべきなのです。
芭蕉の句碑などを脇目に見つつ、さらに進むと、亀の甲石なるものがあります。なんでも亀の形をしたこの石は、古来より延命長寿の霊験があると伝えられており、小銭に名前を書いて供えておけば願い事がかなうということです。
もちろん願い事をしないわけがありません」
「今年中に彼女が出来ますように!」
三十路になると切実な問題なのです
さて、なんか先ほどから願い事しかしていない気もするのですが、そういうところなので仕方がないです。一応、芭蕉の句碑とか銅像とかもあるのですけど(ちなみに芭蕉の銅像は”でん六豆”の社長が寄贈したものということです。へぇー)そのようなものは他のHPで嫌と言うほど紹介されていますので、省略します。
ということで、やはりまた願い事の話。芭蕉像を超えるとすぐの所に「幸福の鐘」というものがありました。願い事がある人は、鐘を一つ打ち鳴らしてお祈りするといいとか。
さてと、お決まりの願い事しましょうか。ホント、この願いがかなうことを、切に願いますよ。独り身は、もう勘弁ですのでね。
「今年中に、いや出来ることならクリスマス前に彼女ができますように。いや、出来なくちゃ困るんだ。もう、一人の寂しさに耐えるのも限界なんだから。これは願いというよりは、祈りそのものなんだ!」
などということを、必死に長く願っていましたら、ふと隣にあった注意書きに気が付きました。
ねがったことに 努力しよう
・・・やはり、努力しなくてはいけないですか。と言うか、いくら努力しても報われていないのですけど、その場合はどうしたらよいんですか?
とりあえず、まず願いことがかなうような出会いの機会を探すために努力しなければいけないようです。
(次は”奥の院”について書きたいと思います)
2003/9/19 山寺
山寺(宝珠山立石寺)は貞観二年(860年)清和天皇の勅使により天台宗の僧、慈覚大師円仁によって開基された、非常に歴史が古く由緒ある寺院です。
前回、記した根本中堂が本堂となりますが、山寺が山寺として有名なのは、むしろ今日、お話しようとしている”山門”(左写真)から”奥の院”までの道のりとなるかもしれません。
ここからの道は、まさに山の中に切り開かれた道であり、その参道は芭蕉も含め、千年以上もの間、歴史と共にどれくらいの人が足跡を刻んだのか分からないほどです。
その足跡の中には、もちろん僕のような単なる観光客もいるでしょうが、仏の道につかえる修行僧などもいたことでしょう。様々な思いがあったと思います。そんな思いを受け止めながら、この参道は千年以上も存在しているのかと思うと、少し感慨深いものがあります。
参道はこのような石段がひたすら続く道となっております。なんでも、”山門”から”奥の院”まで八百余段、登り口からだと千段以上になるとか。
「奥の院まで千余段の石段を一段一段登ることによって、煩悩が消滅され、幸福になれるという」
などという説明がされていますが、たしかにこの階段を踏みしめつつ、仏の道を追求した修行僧のことを思うと、僕の持っている思いなんて小さいものかもしれないという気持ちになります。
この参道は、観光客は多いものの、昔の面影を残しているであろうところが多く、おそらく観光客さえいなければ、かなり閑かで落ち着いたところであろうと思われます。
僕が行ったときは、かなり暑く、9月というのに、まだ蝉が鳴いていまして芭蕉の「閑かさや岩にしみ入蝉の声」の句が確かに実感できました。
階段を登ってようやくたどり着いた奥の院(左)と、その近くの五大堂から見た風景(右)。
先ほど
「奥の院まで千余段の石段を一段一段登ることによって、煩悩が消滅され、幸福になれるという」
言葉を記しましたが、こうやってたどり着き、眼下の風景を見ると、改めて自分の小ささが実感できます。こんな小さな僕の思いや悩みなんて、ほんと小さなものなのでしょう。そう思うと、煩悩が消滅するとまでは言わないまでも、何か気が楽になったような気がします
そうですね、仏の前では僕の悩みなんてものは、とても小さなものなのです。
・・・ん、それはそうとして、そこのカップル、この暑い日に手をつないで山道を登ってくるな。というかカップルで、こういう場所へ来るな!
あ、可愛い女の子二人連れ、へぇ、こんなところにも若い女の子って来るんだね。ちょっと声かけてみようかな。(財布を見たら500円しか無かったので、声はかけませんでした)
いや、だから、なんでこんな渋い観光地に、カップルで来るんだよ。三十路になって独り身の人間への嫌がらせか。それにしても、カップルが多いな、なぜだろう。こんな平日なのに。って、よく考えると一人で訪れているのって僕だけじゃないか!(泣)
煩悩を無くすというのは難しいことです。