[PR]《運命》の相手診断してみる?:パネェぐらい当たる診断ダョ♪

 

【地域】
 岩手県遠野市
【ジャンル】
 伝説スポット
【参考リンク】
 
伝承園地図

2003/10/17 遠野にて(1)

 遠野という都市は、民俗学者柳田国男の「遠野物語」でよく知られた、別名「民話の里」とも呼ばれているところでして、あちらこちらに伝説の残っている土地があるわけです。
 さらに、ここまで「民話の里」として知られていると、あちらこちらの石にや野原など、その伝説の解説プレートが置いてあり、主要な施設には「遠野ガイドマップ」なるものが置かれているという、観光客に非常に優しいところとなっております。
 つまり、遠野という都市は街全体が、「民話村」という観光テーマパークになっているとも言えるわけでして、これは旅行者の僕にとってはありがたいが、B級トラベラーの僕にとっては、厳しいこととなります。なぜなら僕が、普段訪れるところと同じようなB級スポットであるカッパが出るところとか、道祖神など物好きしか行かないようなところを多数の観光客が訪れ、そして同じようなレポを書くからなのです。ある意味、皆がB級トラベラーになる街、それが遠野というところなのです。
 ということで遠野に関しては、B級トラベラーとして書いてもありきたりのものになるので、一観光客としての視点で書いていこうかなと思います。
 
 
 【常堅寺】
 
 
 
 遠野に到着してまず行ったのが、常堅寺。この寺、写真で見ると一見普通の寺ですが、この本堂中央のあたり、両端に何やら狛犬のようにして置かれている物があることに気付くでしょうか。
 
 
 
 近づいてみると、このような木彫りの人形、カッパの木彫りの人形のわけです。そういうわけで、この常堅寺は遠野伝説の中でも最も有名なカッパ伝説ゆかりの寺となっているわけです。
 さて、この寺がなぜカッパと縁深いのかと言うと、第一に、この寺の奥の方に「かっぱ淵」と呼ばれる小川の淵があり、そこにはカッパが多く住んでいて、人々や馬にいたずらをしたところと伝えられているのです。
 
 
 
 ということで”カッパ淵”です。 非常にのどかな日本の原風景とも言える感じがする小川にありました。ただ、水は清らかで小川の底も浅いようなので、こんなところにカッパなんかがいてもすぐに見つかるのではないかななどと感じました。昔は、もう少し深かったのでしょうかね。でも、確かに非常に閑かなところで、何かがいても不思議ではないというような雰囲気を出してはいました。
 

 
 カッパ淵の脇には小さな祠がありまして、カッパにまつわるものがこのようにして供えられております。カッパの木彫り、オブジェ、花などがあります。日本の古来からの思想である「八百万の神」というものがありますが、もしかしてカッパとは川にいる神様への気持ちを具現化して生まれてきたのでは、とそんなことを思ったりしました。
 

 
 その中でも僕が面白いなと思ったのは左の方の箱に安置されていた、紅白の玉。一見お手玉のようですが、先端に小さい突起があるのが分かるでしょうか?実は、これは乳房をあらわしたぬいぐるみだそうで、子供が産まれたばかりの母親がこれを奉納して願をかけると乳が出るようになるとか。カッパが、どうしてこのような信仰になったのかがよく分かりませんが、おそらくカッパの力を分けてもらおうということの現れなのでしょう。
 
 もっとも、この乳房のぬいぐるみ。なぜか長細く作ってあり、若い母親の乳房というよりは富永一郎画伯が描くところの「おばあちゃんのおっぱいがびよよーん」という乳房を思い浮かべてしまうのですが。
 
 
 さて、常堅寺にはカッパ伝説がもう一つ。
 
 
 カッパ淵でいたずらをしていたカッパはある時、ちょっとした失敗でとらえられる。カッパは、もういたずらはしないと詫びを乞い、その後はその近辺の守り神となった。とりわけ常堅寺出火の際には、頭の皿から水を吹き出し、火を消し止めたと言われており、そのお礼の証として、寺には「河童狛犬」なる頭にくぼみがある狛犬が現存している。
  
 
 ということで河童狛犬。
 

 
 左の写真を見ても分かるように、河童狛犬は、普通の狛犬です。ただし、右の写真の様に上から見るとハッキリと分かるくぼみがあるという、これが河童狛犬と呼ばれる所以です。しかし、寺に狛犬があるというのも珍しい話なのに(普通は神社)さらにその狛犬が河童だというのだから、ホントに不思議な話です。単純に考えると、寺が出火した際に河童淵の水を使ったのでということになりそうなのですけど、それだけのことでこんな狛犬を作るものなのでしょうか?何やらホントに河童がいたのかもという気にさせてくれます。
 まぁ、昔の住職が酔っぱらった勢いで思わず作ってしまったということも考えられますけど。歴史の不思議というものです。
 
 ところで、この常堅寺なのですが、「民話の里」遠野の中でも、おそらく最も有名なスポットということで観光に来ていた人がすごく多いのですね。平日の夕方に行ったにも関わらず、かなりの観光客。それも、そういうところだから、年配の方が多いかと思いきや、予想外に若い人が多いのです。
 その若い人の中でも多いのがカップル、僕の憎むべきカップル。いつも、思うのですけど河童が出ると言われたところとか、頭にくぼみがある狛犬とかをカップルで見て楽しいですか。「幸せならどこへ行っても楽しい」と言われるかもしれませんが、もっと楽しいところがあるはずでしょう。ほら、海とか、見晴らしがいい高原とか、そういうところに行けばいいじゃないですか。何もよりにもよって、こんな渋い所を訪れなくてもよいものでしょう。あと、「幸せならどこへ行っても楽しい」と言うのなら、墓場とか、地下牢とかに行ってください。願わくば、僕の視界から去って下さい。
 まぁ、それはそれとして若い人というのは決してカップルばかりではないのですよ。ええとですね、僕が河童狛犬の写真を撮っている時のことなんですけどね。女性の声で「すいません、写真撮ってもらえますか」という声が聞こえまして、ちくしょーまたカップルでラブラブな写真をという話かと思って、声のする方向を振り返ると、おそらく女子大生くらいと思える、若く可愛い4人の娘さんたちでして・・・
 それまでのカップルに対する憎悪の念も、その娘さんたちを見たら、あっという間に消えて、笑顔で彼女たちのカメラのシャッターを押した次第。で、あれですよ、キッカケなんていうのはどこに転がっているか分からない、「出会いはいつでも偶然の風の中」と誰かの詩にもありましたが、いわゆる旅先のロマンスというやつが、そこで芽生えるわけです。
 と言うのも、カメラを返した後、なにげなく「どこから、いらっしゃったんですか?」と訊ねたところ、「新潟からです」という返事。さらに聞くと、新潟市内ということで、僕の家のすぐ近く。同じ郷土で、話が弾まないわけなく、ちょっと長話。あんまり話すと、お互いに他のところが見られなくなるなと思い、「それじゃ、あんまり長くなると、暗くなるし、またの機会に。近いんだし今度飲みに行きましょうよ」とか社交辞令で言ったら、その中の一人が僕に「じゃぁ連絡下さいよ」とか言ってメルアドを教えてくれまして・・・
 で、先日これも縁かとメールで連絡しあって、飲みに行きましたら、なんかすっかり意気投合してしまいまして・・・
 ちょっと、ここのところ、更新間隔が開いているのは、そういう理由なのです。
 
 
 
 
 
 という妄想を抱きつつ、何か声を掛けようとしている間に娘さんたちはどこかに行かれてしまいました。東北の空の下、寂しく、肩をおとす三十路のさえない独身男性が独り。
 
 
 
 結局娘さんたちとした会話は「写真撮ってもらえますか」「いいですよ」というその一言だけでした。悲しいことによく考えると、東北旅行中で、人間と話したのはそれくらいのような気がします。
 
 
 ・・・そして遠野路は続く。


2003/10/20遠野にて(2)

 前回に引き続き、、遠野の話。
 
 【伝承園】

 
 常堅寺から、伝承園に行く途中にあるのが、この今にも倒れそうな朽ち果てた木の鳥居のようなもの。普通の農村などにあれば、なんだろう、これ?くらいにしか思えないのでしょうが、遠野では最も遠野らしい風景として、ポスターなどにも紹介されたことがあるらしいです。なんでも遠野の人の霊山とされていた「早池峰山(はやちねさん)」への参道跡だとか。そう言われてみれば、なにやら壮厳たる感すらありますが、でもそう説明されなければ、「こんなボロイの早く撤去すればいいのに」などと思ってしまいますよね。
 

 
 で、これが「伝承園」です入園料は300円。遠野地方の農家のかつての生活様式を再現したところだとか。写真は国の重要文化財に指定されているという曲がり家(人間の住む所に馬屋などが付け加えられ、上記写真の様に直角に曲がった形で建てられた家)の「菊池家住宅」です。
 
 この伝承園の見物は千体のオシラ様を展示している「御蚕新堂」でしょう。
 オシラサマというのは東北地方の神様でして農業の神様、馬の神様、蚕の神様など生活に深く根付いた神様とされています。
 この「オシラサマ」にはこのような伝説が残っています
 
 その昔、農家の娘が飼馬に恋をし、夜になると馬屋に行き寝て、ついに馬と夫婦となった。怒った娘の父親が、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺した。それを見た娘が悲しんで死んだ馬の首にすがって泣いたので、父親はそれを腹立たしく思い、馬の首を斧で切り落としたところ、馬の首と一緒にそれに乗った娘も天に昇り、オシラサマになった。
 

 馬に恋をして夫婦となるという話は特異なものを感じますが、冷静になって考えると、馬と娘というのはアダルトビデオの獣姦ものではよくあるシチュエーションであり、もしかしてこの関係もそうなのではと思うと、本来は悲しいはずの伝説が淫靡な雰囲気を発してくるから不思議です。と言うか、この話が実話を下敷きにしたものだとすると、父親がその行為の最中を見たとしか考えられないんですけどねぇ。
 まぁ、昔話の世界では、そんなハードコアな話題になるはずもないのですが。
 
 そういうわけでオシラサマを形にした場合、上記伝説からも分かるように馬と娘の人形に布をかぶせた「おしら人形」(二体で一対)となるわけですが。
 

 
 いくら何でも千体(五百対)は多すぎます!
 
 赤いライトで照らされた部屋の壁一面に張り付けられたおしら人形。おまけに布が虫に喰われないようにと部屋の中はナフタリンの匂いが強烈で。
 
 ・・・幼少時に見たら間違いなくトラウマものですね。
 
 
【山崎のコンセイサマ】
 コンセイサマ(金精様)とは、農作物の豊穣をはじめ幸いをもたらす神として信仰されているもの、とくに縁結び、子授け、出産などの祈願には霊験あらたかだとか。ご神体は男性を象徴した形をしています。
 

 
 ということで、コンセイサマ。遠野には、このような素朴な形のコンセイサマが幾つも残されていると言うことです。本当は昭和47年に発見された高さが1.5mもあるというコンセイサマを撮りたかったのですが、社殿に安置されているため、ちょっと暗くて撮影が難しいので、となりにあったものを写真に撮りました。これもかなり大きいですね。
 まぁ、栃尾のほだれ様を見た後なので、それほど驚きはしませんでしたが。昔の人の信仰がうかがえる所ではあります(そう考えるとほだれ様は現在も、信仰が続いていると言う点ですごいものがありますねぇ)
 
 
 【デンデラ野】

 
 荒れ果てた畑のようなところに「でんでら野」と書かれた杭が一本。こんな風景でさえも「民話の里」の中では名所になります。
 なんでも、以前は60才を越えた老人がすべてこのデンデラ野へ追いやられる習慣があったとか。つまり姥捨て山ですね。ただ、このデンデラ野は姥捨て山などと違って、里からそう離れていないところ、ちょっと里のはずれにある丘という感じのところにあります。
 だから、捨てられた老人達は、姥捨て山で黙って死を待つということではなく、日中は里へ下って農作業を手伝って、食料を得たりして、最低限の生活を営んでいたらしいのですね。おそらく、貧窮の農村にあっては、年貢対策などがあったため、生産者でなくなった人間は死んだ者として扱っていたのではないのでしょうか。
 もちろん、そのまま何も出来ずに死んでいった老人もいるでしょうが、死んだはずの老人が里で降りて働いているというあたりに、姥捨て山ほどの残酷さはなく、この習慣の優しさがうかがえます。
 
 
 
 
 「デンデラ野」と書かれた杭のある野原から、さらに左の写真にあるような車一台がやっと通れるような小道を行くと、ホントに何もない野原が開けています。草野球でも出来そうなほど広い野原ですが、なぜかここが地の果てといった感覚を覚えます。先ほど見た「でんでら野」の標識があったところよりも寂しい感じがします。それもそのはずで、ここは岩手でも怪奇スポットとして有名な所とか。何でも怪光が見えたり、聞こえないはずの音が聞こえたりするらしいのですね。
 そう言えば「デンデラ野」には姥捨山伝説の他にもう一つ伝説があり、何でも村に死者が出るときには男なら馬を引く音が、女なら歌声が聞こえるなどの前兆があるとか。いまだに、その伝説が形を変えて現代に根付いているあたりが何とも興味深いです。
 もっとも僕としては、それ以上に怖かったのが、この奥の野原には車で行ったのですが、そこまでの道が前述したように細い一本道で、さらにかなり轍が深く、車の下を草がこすれる音がする中、Uターンするところもないので、引き返すにも引き返せず、ここで車が轍にはまって動かなくなったらどうしようかと思いながら、道を運転している時だったのですけどね。
 
 こんな寂しいところで独りなんて、絶対に耐えられるはずがありませんから。
 あと、もしかして現在は老人の代わりに、悪い男に捨てられた娘さんとかがいるかなと思い見渡しましたが、誰もいませんでした、残念ながら。
 
 
 【さすらい地蔵】

 
 さすらい地蔵は遠野駅の近く、消防署の隣という賑やかなところにある白幡神社の中にあります。写真の様に、地蔵というにはすでに首もなく、身体中すり減っており、ただの大きな石にしか見えませんが、こういう姿になったのには言われがありまして。
 なんでも、この地蔵は、昔は退屈まぎれの若者達の力試しに使われ、あちこちに運ばれており、そのせいで首もなくなり、あちこちが破損したようです。しかし、そのようにして、どこかに運ばれても、数日後にはいつのまにかもとの場所に戻ってきているというとても不思議な伝説が残っています。
 若者の気まぐれで、あちこちに移動されて、地蔵さんも迷惑なことかと思いきや、さにあらず何でも、このお地蔵さんは女性らしく、そうやって若い男に担いで運ばれて、放浪するのを楽しんでいたとか。だから「さすらい地蔵」などという名前が付いているわけですね。
 昔話によると、ある時、親切な人が、どこかに運ばれて置かれていたお地蔵様を元の場所に戻してあげたところ、「せっかく若者達と遊んでいるのに、余計な事をするな」といってお地蔵様はその人を怒り、天罰をくだしたとか。
 しかし、夜な夜な若い男に連れ回され、夜の街をさまよったあげく、放置され、しかもそれを楽しんでいるというのだから、このお地蔵さんは根っからの遊び人ですねぇ。現代でも歓楽街に行くとよくいますよね、こういう女性って。
 まぁ、それはそれとして、この「さすらい地蔵」に関して、心残りなことが一つあります。あとから知ったのですが、この地蔵さん、若者が力試しに使ったということからも分かるように、持ち上げて移動したりすることが可能なそうなんですね。さすがに、こういう文化財にそういうことしちゃいけないのかなぁと思って、僕は持ったりはしなかったんですけど、資料にと思ってあちこちのHPを見てみると、結構持ち上げて移動している人とかいるようでして、それが出来なかったのが何とも心残りです。
 
 ということで、僕のそんなモヤモヤを晴らすべく、お地蔵さんの代わりに抱きかかえさせてくれる女性の方などいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。
 
 あ、老人介護とか、赤ちゃんとかは無しの方向でお願いします。
 
 
 
 
 
 さて、そんなわけで遠野について長々と書いてきたわけですが、この「さすらい地蔵」の頃になると、日も暮れ始めて、風景とかが見えない状態なので、遠野を離れることにしました。本当は恋愛の神様「卯子酉(うねどり)さま」(「必要ない」とか言わないように)とか花崗岩に羅漢が彫られた「五百羅漢像」なども見たかったのですけど、実際に行ってみると真っ暗闇で何も見えない状態だったので、又の機会にということで泣く泣く諦めました。
 
 あ、そうそう、その日の夕食は道の駅「遠野風の丘」というところで「暮坪そば」なるものを食べました。これは、いわゆる”おろしそば”なのですが大根おろしの代わりに遠野特産の「暮坪かぶ」という辛いかぶを使うというものです。これが美味い。道の駅ということからも分かるように”そば”そのものは普通の蕎麦屋より劣るものですが、”おろし”がすごく美味いのです。ちゃんとした蕎麦屋で食べるともっと美味いのでしょうねぇ。
 で、この”暮坪かぶ”道の駅の売店で売っていたので、自宅用に少し買っていきました。刺身の薬味としてわさびの代わりに使ったりしたのですが、わさびより辛さが柔らかな感じで美味いです。とりわけ、鮭の刺身には恐ろしくあいますので、遠野に行く機会があれば、ぜひ買うべきだと思います。


[PR]女性の借金返済の悩み、解決!:24hメール受付!アヴァンス法務事務所