【地域】
新潟県分水町
【ジャンル】
伝説スポット
【参考リンク】
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酒呑童子神社地図
2004/
4/12 酒呑童子神社
先日は天気がよかったのでドライブでもしようかと弥彦から国上山方面へ車を走らせていると道の途中に五重塔のようなものを発見しました。
最近は、この道を通っていないものの、昔はよく通った道でして、おまけに五重の塔となれば、史跡好きの僕が行ってないわけないのだがと思いながら、そこに近寄ってみると
確かに立派な五重塔があります。そして、その傍らには酒呑童子神社の文字が。酒呑童子と言えば茨木童子(羅生門の鬼)と並んで有名な鬼のわけでして、ことに源頼光の鬼退治の話はご存じの方も多いと思います。
そう言えば、以前茨木童子の里(栃尾市軽井沢)を訪ねた時に、分水町は酒呑童子の故郷と書かれていたような気がします。
そのことは詳しくは国上山にある国上寺(分水町)にある「大江山酒呑童子」絵巻に書かれているということです。
その昔、桓武天皇の子が流罪となって、この地へ来たとき、従者であった砂子塚の城主石瀬俊網が子宝に恵まれなかっため、信州戸隠山に祈願したところ、妻が身ごもり十六ヶ月に男児が生まれ、外道丸と名付けられた。
外道丸は大きくなるに従い乱暴者となり、国上寺に稚児として預けられた。その後、乱暴者であったことを何より心配していた母が亡くなったと聞いた外道丸はひたすら仏道の修行に励むようになった。
外道丸はまれにみる美男子だったため、近隣近郷の娘達から恋文が山のようにたまったが、開きもせずに修行に励んでいた。
ところがある日、外道丸から返事の来ないことを悲観した娘が己の命を絶った。
そのことを知らされた外道丸が、恋文の詰まったつづらを開けるとつづらの中から紫色の煙が立ち昇り、外道丸は気を失ってしまった。
しばらくして自分の顔の異変に気が付き、井戸に顔を映すと悪鬼の顔に変わっていた。
このような姿になってはと、外道丸は修行僧の道を捨て、数々の悪行を働くようになり、その後、茨木童子などを従え、信州戸隠を経て、丹波の大江山に移り住むようになったと伝えられている。
と、これが酒呑童子の由来のわけですが、このような鬼がなぜ神社に祀られなくてはいけないのでしょうか?鬼の墓がある
緒立八幡宮
のように祟りを鎮めるためではないようです。(それならば昔からあるはずで、それにしてはあまりにも作りが新しすぎます)
で、正面からこの神社を見ますと、こういう神社であったりします。
左側の方に見えますか?
縁結之神
という字が。ええと何でもですね、この神社は
平成九年
に「分水町異業種交流会」という商工会のような方々が建立したものらしいのですよ。
、なんでも、ある日酒呑童子の御霊から、異業種交流会に対して
「(もし、私が娘さんの恋文を読んでいたなら、娘さんは死なずにすんだでしょうし、私も鬼のような顔にならなかったでしょう。そのことを省みつつ)外道丸の頃に受けた娘さんたちの熱い想いを、いま昇華させて、若いカップル達の幸せのために尽したい」
という思召があったそうで、そこで、その会は、この神社を建立し、縁結びの神として酒呑童子をまつることにしたそうなのです。
うわー、すごく安直な思召だぁ。なんか、とりあえず地元の有名な伝説と、人気の縁結びを組み合わせてみましたという意図が見え見えですね。鬼が神になるというだけならともかく、それが縁結びの神様なんていうのはかなり無理があります。
さらに言うなら、神社と五重塔の関係、まるでないし。とりあえず五重塔でも建てれば目立って馬鹿な奴がやってくるかもしれないという意図が見え見えです。(そして、それに引っかかるのバカは僕です)
まぁ、だいたいですね、酒呑童子が美男子で、娘から恋文をたくさんもらっていた時点で、どうかと思います。そういう風に何人もの娘にチヤホヤされる男がいるから、逆に娘に全く相手にされないブサイクもいるわけで、そう考えると縁結びどころか、縁に恵まれない原因はそいつにあったりするわけなんですよ。そう考えると、嫉妬か恨みが原因か、それとも天罰かは知らないが鬼の顔にでも何でもなってしまえと思うわけです。
もっとも鬼の顔になったところで、ブサイクよりは醜くないような気もしますが。鬼の顔になったくらいで悪事を働くなら、生まれた時からブサイクの僕は、どのくらいの悪者にならなけらばいけないのでしょうかと思ってみたり。そう考えると自暴自棄にならず堪え忍んで生きている僕は偉いと思います。誰か褒め称えよ!
いや、やっぱり別に褒めなくてもいいので、代わりにブサイクでも受け入れてくれる娘さんを紹介してくれると嬉しいです。
というようなことを縁結之神、酒呑童子神社に祈願しました。
(縁結びと聞いた時点でとりあえずお参りする僕は人生の負け犬だと思いますが、そこまで切羽詰まっているのも事実なのです)
【付記】
それで、上にもあるように酒呑童子は、己の姿を井戸に映して鬼になっていると分かったわけですが、その井戸はいまでも国上山山中に”鏡井戸”として残っております。
この井戸が、その井戸のわけですが、一説には、今でも心にやましいところがある人は、井戸に顔を映すと鬼の顔になっているとか。
と、言うことで僕も井戸をのぞき込んでみました。いや、顔はブサイクでも心はピュアですから鬼の顔など映るわけが無いのですけどね、念のため、念のため。
そう思ってのぞき込むと、井戸の水は、なぜかすっかり枯れておりました。顔など映るはずがございません。
どうやらブサイクは井戸鏡にすら映ることを拒まれているようです。