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【地域】
 福島県二本松市
【ジャンル】
 伝説スポット
【参考リンク】
 
観世寺地図

2003/4/4 安達ヶ原の鬼婆

 先日、休日でしたので、新車で初めての長距離ドライブに出かけました。もちろん、言うまでもなく一人です。現実はあまりにステレオタイプに過ぎていきます。新車を買ったからって劇的な出来事が起こるなんて期待した僕が間違いでした。
 おまけに、新潟を出た時には晴れだったのに、目的地に着いたら雨降りでした。
 
 新車で初めてのドライブ。雨降りの中、独りぼっちで。
 
 人生なんて、こんなもんです。
 
 で、どこへ行ったかといいますと、奥州安達ヶ原(福島県二本松市)に行きまして。ここは鬼婆の伝説で有名な所でして、さらに伝説ばかりでなく、鬼婆の墓や、住んでいたと言われる所まで残っているということでして、そういう胡散臭い話が大好きな僕としては行かないわけにはいかないのです。
 
 まぁ、知らない人も多いかと思いますので、この鬼婆伝説を記しておきます。
 
 
 昔(1200年以上前)、「岩手」なる老婆がいて京都の公卿屋敷の乳母をしていた。自分が乳母をしていた姫が病気であり、その病気を治すには「妊婦の生き肝を飲ませれば治る」と易者が言うので、その言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、たどり着いたのが、安達ヶ原の寂しい岩屋であった。
  
 ある夜、伊駒之助・恋衣と名のる若夫婦が、この岩手の岩屋に一夜の宿をこうたが、その夜身ごもっていた恋衣がにわかに産気づき、伊駒之助は薬を求めて外に出る。
 「岩手」は待ちにまった人間の「生き肝」を取るのは、この時とばかり、出刃包丁で、苦しむ恋衣の腹を裂き「生き肝」を取った。ところが死ぬ際に「私達は、小さいとき京都で別れた母親をさがしているのです」と言った言葉が気になり、ふと恋衣が持っていたお守り袋を見ると、幼くして別れた自分の実の娘ということが分かり、気が狂い鬼婆と化し、その後は宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、肉を喰らい、「安達ヶ原の鬼婆」と呼ばれるようになった。
 
 数年後、紀州熊野の僧「祐慶」なる者が、安達ヶ原を訪れ、何も知らずにこの「岩手」の岩屋に宿を乞う。「岩手」は「祐慶」を泊めるが、その際に、奥の部屋だけは見ないでくれという。しかし、「祐慶」が誘惑に勝てず、その部屋を覗くと、夥しい数の切り刻まれた死体が積まれており、そこで「祐慶」は、「岩手」が「安達ヶ原の鬼婆」ということを知る。
 
 あわてて「祐慶」は逃げるが、必死の形相で追いかけてくる鬼婆。もはや、これまでと「祐慶」が自分の持っていた仏像と共に祈祷すると仏像が空に舞い上がり、鬼婆を弓で射殺した。
 その後、「祐慶」が鬼婆を葬ったところを「黒塚」と呼ぶようになった。また、「岩手」が住んでいた岩屋は「祐慶」を守った仏を奉った寺「観世寺」の中にある。

 (以上、観世寺のパンフレットの抜粋)
 
 
 まぁ、細かいところを突っ込むと、かなり無理がある話ですが(「京都から福島まで行き鬼となった」というところなど、東北差別に他ならないですし)それにしても、自分の育てた娘を助けようというあまり、実の娘を殺してしまい、その罪に気が狂い、鬼と化すというのはかなり切ない話ではあります。
 
 もっとも、実際の鬼婆の話では、この理由が語られずに別々の話で伝わっていることから、後に考えられたとも思えるわけですが、この話がなく、鬼婆が「祐慶」という偉い坊さんに殺されましたという鬼退治の話だけだと、全く面白くないわけでして、後から考えたにしてもよくできた話だなと思います。
 
 
 話の流れを追いますと
 
 1.老婆岩手、京都(中央)から東北という異界(当時の状況では、異国に近い)へと移り住む
 2.その場所で、知らずに子と孫殺しというタブーを冒す
 3.その罪に気が狂って鬼(異なる者)へ
    →その象徴として、殺人と人食というタブーを冒す
 
 という一幕があり
 
 続いて
 1,祐慶、偶然に、安達ヶ原という異界を訪れる
 2.そこで、老婆に「部屋を見るな」という制約を受ける
 3.約束を破り、部屋の中を見てしまい、そのことにより老婆は鬼婆に変化
 4.最終的に鬼婆は仏の力によって消滅
 
 という場面があるわけでして、いずれにしてもタブー、もしくは約束を破ったことをキッカケとして老婆が鬼婆に変わるという形を見ることができます。(自分が禁忌を冒したのか、それとも相手が冒したのかという差はあるにせよ)
 
 「見るなの部屋」は鶴女房などに典型的な、物語の型の一つですが、その発生談として、子殺し、人食等の原始的なタブーをからめたあたり、実に巧妙に作られた物語であり、これだけ物語の要素が詰め込まれていますと、歌舞伎や歌曲、漫画(手塚治が元ネタにしたらしい)など、様々な創作物の題材になるのももっともだと思います。
 たぶん調べれば、この物語の構造をもっと詳しく説明しているものもあると思いますので、そのような本を見つけたら教えていただけると嬉しいです。(自分で調べるのが面倒くさいので)
 
 
 で、この伝説があまりにもよく出来た話のためか、それとも元となる話がホントにあったのかは知りませんが、前述したように、この鬼婆を葬った塚や、住んでいたと言われる岩屋が実際にあったりするわけです。
 
 

 まずは塚。単なる小さな丘に木が立っているだけのように見えますが、ここに鬼婆が埋葬されているとされています。まぁ、そう言われれば、そういう雰囲気もありますけど、何も言われずに見たら、やはりただの丘にしか見えないと思います。
 まぁ、信憑性はともかく全国各地に、このような「誰それの墓」と呼ばれている丘は多いのでよしとしましょう(青森にあるキリストの墓なんてもっと胡散臭いですしね)

  
 

 続いて、鬼婆が住んでいたとされる岩屋。「祐慶」を守った仏を奉った寺「観世寺」の中にあります。この写真の左手にある大きな石がそう呼ばれています。
 


 
 近づくとこうなっています
 

 まぁ、これも1200年以上も前の、まだ寺が立てられず、あたり一面、荒涼とした野原だったと思われる時代(まさに安達ヶ原と呼ばれるにふさわしい頃)に、その野原にこの岩があれば、誰かが住んでいたと思われても不思議ではないでしょう。この岩が人工物にしても、自然に出来たにしても、かなり見応えがあるものであることは確かです。
 
 
  と、ここまでは僕も納得できるのですよ。鬼婆伝説があり、鬼婆の墓と呼ばれる塚と、そこに住んでいたと言われる巨石があることには、とりあえずは納得できるのです。
 
 
 しかしですね・・・

 どう見ても、後世に人工的に作られたとしか思えない小さな池を、鬼婆が人を殺めるための出刃包丁を洗った池(出刃洗いの池、または血の池)とするのは、いささかやりすぎではないかと思うのです。
 さらに言うなら、観世寺の宝物館(入館料400円)の中には、1200年以上も前に実際に鬼婆が使用したという出刃包丁、人を煮ていたと言われる鍋、食事をするときに使った茶碗などが収められていまして、ここまで物品がそろっていますと逆に胡散臭さが増大すると思うのですが。
 
 
 まぁ、それも、昔の伝説だし、ロマンをかきたてるということで、仮に許すとしましょう。
 
 しかしですね、その近くにあった食堂の、この看板はどうかな?という疑問だけは消えることが無いというのは決して僕だけではないと思います。
 


 
 

 ”鬼婆らーめん”、”鬼婆うどん”、”鬼婆そば”に、”おにばばづけ”って、何でも鬼婆を付ければいいものではないと思うのですが・・・と言うか、普通食べたいと思いますか、”鬼婆らーめん”って。
 まぁ、”地獄ラーメン”(劇辛ラーメン)なんてのもあるから、そういうものなのでしょうか。それとも、一時、噂になった人肉をダシにしたラーメンだったりして・・・
 
 どのようなものかは、かなり気になりましたが、あいにくと店は準備中でしたので分からずしまいでした。
 それでも様子だけでも見ようと、僕が店の前に立つと、少し年配の女性の方が、店内から不審そうに僕を見ていました。
 
 とりあえず、この人が作っているから”鬼婆ラーメン”なのだろうと納得して、その場を去ることにしました。
 
 
 
  
 
 ・・・などと奇麗にまとめましたが、よく考えると、ものすごく失礼だと思いますので、誰か本当のことを教えていただけると嬉しいです。

  

  


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