【地域】
栃木県足利市
【ジャンル】
伝説スポット
【参考リンク】
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鑁阿寺地図
2008/3/9 鑁阿寺
栃木県足利市にある鑁阿寺は、鎌倉時代初期の1196年足利義兼が建立し、大日如来を祀ったのが始まりで、その後、足利氏の氏寺となり、現在にいたります。
小京都とも言われる足利市において、日本最古の学校である足利学校とともに、街の風景の代表的な建物となっております。
その鑁阿寺の本堂の後ろの方に、蛭子堂という小さな社があります。
またの名を時子堂とも呼ばれており、足利義兼の妻、北条時子を祀ったものとされ、安産の神様として知られています。
しかし、この蛭子堂には、恐ろしくも悲しい話が伝わっております。
そして、その話がそもそもの鑁阿寺の始まりともされています。
話は、時子が突如自害をしたところから始まります。
時子が自害した理由は、義兼の留守中に、妊娠したように腹が脹らんだところから、よからぬ疑いをかけられたため。
ところが、自害した後、その腹を割いて見ると、出てきたのは血を吸って太った無数の蛭。これがお腹を脹らませていたのだ
真相を探ると、時子の腹が脹らみはじめたのは、春の花見の時、侍女の藤野が汲んできた古井戸の水を飲んでからということを知り、その井戸を調べると、無数の小さな蛭が泳いでいた。
侍女の藤野は義兼の寵愛をうけており、時子を失脚させて、義兼の愛を独占しようとした思いからの藤野の謀略から、この事件は起きたのだった。
義兼はそれを知り、藤野を惨殺。
それと共に自ら出家して自分の館に鑁阿寺を開く。
この話がどこまで本当か分かりませんが、恐怖談として、かなりのリアリティがあり、また人間の心の怖さが伝わる話でもあります。
無数の蛭が腹から出てくるという場面は映像にしたら、かなりすごいものになりそうです。
しかし、何より恐ろしいのは、この事件の元になった井戸がいまだ鑁阿寺に残っているということでしょう。
本堂脇にひっそりとある、その井戸はご覧の用に重い石のふたがされており、中を覗くことはできません。
井戸の下方にコンクリートで固めたあとがあり、また古井戸と言いつつも、ふたがされている井戸そのものはそれほど古くは見えず、むしろ石のふたの方が古く見えることから、おそらく何らかの要因で以前に井戸が壊れたのではないかということを感じさせます。
普通ならば、このような忌まわしい伝説があり、なおかつそれが崩壊した時点で、井戸をつぶそうとするはずです。
しかし、それをせず、井戸を補修し、そしてふたをするという行為には何か違和感を感じます。
井戸に近づかないようにするだけならば、周りに柵をすればいいだけですから。
にも関わらず、伝説と同じように石のふたをし、「開かずの井戸」にするのはどうしてなのでしょうか。まるで、その井戸が無くては困るかのように。
そこに何か、もう一つの恐怖を感じるのは僕だけでしょうか。